癌の浸潤・転移を支えるマトリックス分解性プロテア−ゼの研究
 

 癌細胞が正常組織に浸潤するとき、障壁となる細胞外マトリックス(ECM)を破壊するマトリックスメタロプロテア−ゼ(MMP)やセリンプロテア−ゼが重要な役割を果たす(図1)。これまでに私たちは癌細胞が分泌する多様なプロテアーゼとインヒビターの種類、構造、作用などを明らかにしてきた。私たちがヒト大腸癌細胞から最初に単離し、性質を明らかにしたマトリライシン(MMP-7)は、その後大腸癌の増殖や肝転移に重要な酵素であることが明らかになった(図2)(Cancer Res., 1990)。最近の研究から、本酵素は癌細胞膜に作用し、細胞の自己凝集を促進し、転移性を高めることが明らかになった(Oncogene, 2003; JBC, 2006)。
 一方、アルツハイマー痴呆症の原因物質と考えられている細胞膜上のβアミロイド蛋白質前駆体APPに新規なMMP阻害領域(MMPI)が存在することを見出している(Nature, 1993)。通常APPはADAMによって切り出され、MMP阻害活性をもつ可溶型APP(sAPP)を遊離するが、MT1-MMPがAPPを切断するとMMP阻害活性をもたないsAPPtrcが切り出されることが最近明らかになった。この現象はMT1-MMPのECM破壊作用を一層促進する(JBC, 2003)。
 また、私たちは種々の癌細胞がトリプシンを分泌することを初めて明らかにした(図3)(Cancer Res., 1992)。最近、腫瘍由来トリプシンはECM蛋白質の分解だけでなく、細胞表面の受容体PAR-2を活性化することによって細胞の増殖や接着を促進し、体内での腫瘍増殖を高めることを明らかにした(JBC, 2000)。また、膜結合型セリンプロテアーゼであるMatriptaseが多様な癌細胞で高発現し、腫瘍増殖を促進することを見いだした(J.Cell.Biochem., 2005)。
以上のように、分泌性あるいは細胞膜結合型プロテアーゼは単にECM蛋白質を分解するだけでなく、細胞表面に存在する多様な蛋白質を限定分解し、細胞機能を調節することが明らかになりつつある。現在、特に癌の増殖、浸潤・転移に重要な影響を及ぼすプロテアーゼの新しい作用機構を調べている。このような研究が癌転移や他の疾病の新しい治療法の開発に役立つことを期待している。

 

 図2. マトリライシンの合成阻害による肝転移の抑制
   ヒト大腸がん細胞をヌードマウスの脾臓(下図)に注射して42日後の
   肝臓での転移形成(上図)。生理食塩水(PBS、右)やコントロール
   オリゴヌクレオチド(中央)を投与したマウスでは多数の転移巣
  (肝臓の白い部分)が形成されるが、マトリライシンの合成を阻害する
   アンチセンスオリゴヌクレオチド(左)を10日間投与すると転移巣の
   形成が著明に抑制される。(文献j)

                 

   

 図3. ヒト胃がん細胞によるトリプシンの発現。
  免疫染色によりトリプシンを産生する胃がん細胞が褐色に染色されている。